あと7回夜勤をしたら僕は退職をする。
2025年8月。退職届を提出し、のこり2週間で会社を去ろうとしている真っ只中で、
この記事を書いている。
この会社で働いたのは、たった3ヶ月。
「3ヶ月で辞めるなんて根性なしだ」
そう思う人もいるだろう。
自分でもそう感じる瞬間はある。
しかし続けられない理由があった。
この記事はこのブログの一発目。
僕自身の棚卸しであり、同じように「仕事が辛い」「転職したけど合わない」と悩む人への記録でもある。
設備管理に15年 ―「もっとやれる」と思い続けた日々
僕は26歳から40歳まで、水処理施設の設備管理の仕事をしていた。
草刈りから清掃、ポンプの点検、そして管理職としての人員調整や客先折衝。15年間やりきったといえば聞こえはいいが、内心はいつも退屈でモヤモヤしていた。
「このまま人並み程度の給料で、つまらない仕事をしながら、同じ場所で一生を終えるのか?」
30歳を超えた頃から、ずっとそんなことばかり考えていた。
だから、これまで色々試した。
漫画家を目指して1年間絵を描き続けたこともあるし、スプラトゥーン2にのめり込み、延べ5000時間プレイして「プロゲーマーになれるんじゃないか?」と本気で考えたことすらある。
当然、どちらも仕事にはならなかった。
けれど「もっと別の人生があるんじゃないか」という衝動だけは歳を重ねるにつれ強まっていった。
キャリコンとの出会い ― 自分は“もっとやれる”と増長した
転機はキャリアコンサルタント養成講座だった。
人の話を聞き、支えることにはもともと興味があった。講座ではプレゼン課題や模擬面談で評価も高く、クラスでも一目置かれる存在になった。
「やっぱり自分はもっとできる」
そう思った。
地味な設備管理にしがみつく必要はない。資格を活かして人を支える仕事をすればいい。そう増長していった。
管制の仕事 ― わずか1週間で退職
そんな時、求人サイトからスカウトが届いた。
「警備員をサポートする管制の仕事」
現場配置や悩み相談を担当する。まさにキャリコン資格を活かせると感じた。
勢いで転職を決め、設備管理を辞めた。
しかし結果は…わずか1週間で退職。
会社のやり方や文化が、自分の価値観と真逆だった。ここに細かくは書かないが、直感で「これは続けたら壊れる」と思った。
社会保険の手続きすら終わらず、履歴書にも書けない「幻の職歴」となった。
物流倉庫 ― 3ヶ月で限界を迎えた理由
そのあと急いで求職活動を始め、入社したのがスーパーの物流拠点だった。
現場は社員1割、残り9割はパートスタッフという環境。アルバイトやパートの人たちをまとめることも大きな業務のひとつだった。
「これはキャリコンの資格を活かせるかもしれない」
そう思って決断した。というより、もうそれに賭けようと考えていた。
しかし現実は想像以上に実務中心だった。
ほとんど毎日が荷物の仕分けや搬送作業。4℃の低温倉庫で汗をかきながら働く日々だった。しかも、3年目を迎える社員でさえ、いまだに現場作業に追われているのが実情だった。
半年ほど経てば管理業務も任されるとは聞いていた。だがそれは「管理+実務」の両立を意味していた。つまり、現場作業の負担は減らない。むしろ責任だけが増えていく。
「そこまで耐えられる自信がない」
そう思った時点で、すでに気持ちは折れていた。
夜勤 × 肉体労働 × 職場環境 = 限界
夜勤が体に合わなかった
18時から翌3時まで。生活リズムは崩れ、車で出勤する途中に吐き気や頭痛を覚えるようになった。
肉体労働がきつすぎた
冷蔵倉庫でダウンジャケットを着て8時間、入荷や仕分けを続ける。慣れるどころか日に日に辛くなった。手際よくできない自分が情けなくなった。
荷物を運ぶカゴ車がぶつかる音が苦手だった。
職場環境がカオスだった
社員の人間関係は悪くない。しかし働いている人の9割は副業やトリプルワークの人。素行の悪い人も多く、現場は常に慌ただしい。
タイミーの単発労働者も入り乱れ、マニュアルも研修も不十分。毎日が「戦場」みたいだった。
日々追い込まれるなか、もっとも苦手で避けてきた仕事をしている最中だった。
慣れない手つきでパートのおばさんたちに混じって作業していると、小さなミスをしてしまった。
その時、不意に耳に入った嘲笑や陰口。
荷物の裏で泣いた。40歳、管理職までやった自分が……みじめで仕方なかった。
絶望的に自分に合わない仕事。半年後の未来を想像しても、耐えて乗り越えられる気がしなかった。
「辛抱が足りない」と言われればそれまでかもしれない。けれど、この仕事を続ければ心身ともに壊れるのは明らかだった。
辞めると決めた瞬間
ある日の出勤後。どうしても仕事をする気になれず「5分ください」と伝えた。
「仕事が辛くて仕方がないです」
話しているうちに涙が止まらなかった。
上司は慰め、解決策も示してくれた。その日は少し気持ちが軽くなった。
けれど翌日も、その次の日も、現場は変わらない。嫌なことは重なるし、些細なことでも凹んだりイライラしたりどうにもならなかった。
「もう仕事を覚える気すらなくなった」
この時、完全に心が折れた。
再度上司と面談をして、正式に辞める旨を伝えた。
まだ「学び」なんて言えない
ここで「失敗から学んだ」と書けたら格好がつくだろう。
でも、そんな気持ちには到底なれない。
ただひとつ言えるのは、今の自分にはこの環境を続ける力が残っていないということだけ。
それ以上の意味なんて見つかっていない。
まとめ
3ヶ月で仕事を辞める。
あと7回夜勤をしたら終わりだ。また、無職になる。
妻と子供が二人いる。でも最後まで書けなかった。書くと折れそうだったから。
家族を守らなければならないから、在職中から転職活動は続けてきた。面接も数回受けて内定も取った。(結局辞退したが)
それでも毎日、不安は襲ってくる。消えてしまいたいと思う日もある。
これは「立派な選択」でも「前向きな転機」でもない。
ただ、情けなくても惨めでも、自分には耐えられなかったという事実だけだ。
いつか「笑い話」になるかもしれない。
でも今はまだ、そんな風に思えない。
ただ――逃げたくないとは思う。